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 阿島に陣屋を構えていた知久氏は知行三千石の旗本で、慶長六(1601)年以来江戸幕府の命で浪合の関所(現在の下伊那郡阿智村)を守っていました。
 うららかな春の日、この関所を通りかかった一人の旅人が腹痛で苦しんでいるのを、関所守が番屋に泊め懇ろに介抱しました。
快癒した旅人は御礼に傘作りを伝授してくれました。

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 和傘には骨になる竹(マダケ)と雨よけの和紙はもちろんのこと、骨をつなぐろくろ(ジシャ・ミネバリ・ヤシャブシなどの広葉樹)、のりとなるわらび粉、油、柿渋など、様々な材料が必要となります。
 知久の殿様は、領内に傘作りに必要なこれらの材料が揃っているのに目をつけ、この地域の地場産業として広められました。
その結果阿島傘は当地の一大産業となり、最盛期には100軒以上の傘屋さんが阿島の地に軒を連ねました。

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 そうして最盛期には年間30万本生産していた阿島傘ですが、月日は流れ洋傘の普及とともに和傘は衰退し、現在では傘作りを生業とするお家はたった1軒に。また、材料が地域内で揃ったことから盛んになった傘づくりでしたが、骨屋・ろくろ屋等の職人がいなくなり、現在は竹の骨組みを岐阜から仕入れ、傘作りを続けています。

 江戸時代から続くこの伝統工芸を伝承しようと、地区の皆さんで組織する「阿島傘の会」では、地元小学校での傘づくり体験を通して保存活動が行われています。

 
 
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最盛期には100軒以上の傘屋があった喬木村ですが、現在は『菅沼商店』さん1軒に。5代目の 菅沼良子さん、6代目の中村八代子さん(良子さんの娘さん)が手作りで阿島傘を作っています。お二人に阿島傘への想いを伺いました。

 
 
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阿島傘作りは23歳のときにお嫁にきてから。農作業もやって子育てもして、傘も作っていましたから、にぎやかでしたが、とてもとても大変でした。
実家から母が来たときには過労で痩せた私をみて病院に連れていってくれたほどです。
それでもやっぱり傘を張るのが好きですね。今も傘を張らないと仕事をした気にならない。
だんだん早くうまくなっていく、傘ができていくのが楽しくてたまらないです。

 
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阿島傘が斜陽産業になってからも、近所の皆さんがお弁当を持って手伝いに来てくれたり、傘屋を廃業し転職して会社勤めをした人が、退職後に来てくれたり…地域の皆さんに支えてもらいながら続けてきました。
経験で天気や温度を感じてのりの濃さや、塗り具合を決める。手仕事ですので、みんなの経験や知恵で培ってきたものです。喬木村の文化だと思います。
ですから辞めようと思ったことは一度もないです。自分の代で終わりにするわけにはいかない。
阿島傘と一緒に生きてきましたから。

 
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私は現在傘づくりをしながら、合間で農作業などもしています。傘の仕事はお天気に左右されることも多く、作業できない日もあるのです。注文殺到というわけではないのですが、おばあちゃん(菅沼良子さん)と2人で作っているのでお客様をお待たせしている状況です。日本舞踊などで和傘を必需品としている方をはじめ注目してくれる人がいらっしゃるのが嬉しいです。特に、テレビや雑誌で取り上げてもらうと反響がありますね。

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完全受注生産ですので、名前が入ることを喜んでいただけます。一般の方でも注文くださる方が増えています。今後も忙しくなると嬉しいですが、後継者は…どうでしょうか。いるといいのですが…。正直今後のことはわかりませんがたくさんの方たちが知ってくれることが追い風になっている気がします。「ふるさと納税」の返礼品としtも取り扱っていただくようになり、全国の方に知っていただく機会も増えました。
しかし、傘の材料が思うように手に入らず、傘をもっと作りたくても作れない状況もしばしばあります。それでも代々受け継がれてきた阿島傘の技術を途絶えさせないためにも、なんとかがんばっていきたいと思います。

 
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『阿島傘の会』は平成6年に伝承館を建てた際に発足。伝承館を建てるにあたり尽力した、小林武司さんが初代会長に就任。平成26年まで会長を務められ、勇退。平成27年から久保田毅さんが会長に就任。阿島傘の技を伝える取り組みについて、小林さんと久保田さんにお伺いしました。

 
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発足当時からメンバーの入れ替わりはあるものの、25人ほどで活動しています。発足時は家業で傘を作っていた人や、幼少期に家の傘作りを手伝った方がたくさんいましたが、今は経験者は4軒になってしまいました。『阿島傘の会』は古い阿島傘を保管・管理することももちろんですが、阿島傘を作る技を伝える活動に力をいれています。自分たちでも作りますし、年に2回(一般向け4月・親子向け夏休み)傘づくり講座をひらいています。
暮らしの中に生きてきた阿島傘ですから、かしこまった考え方ではなく、楽しみながら作り伝えています。

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400年前から和傘の村として活気づいていた喬木村。全盛期は江戸時代後半をはじめ、明治40年代、昭和20年代頃まででした。
和傘づくりには多くの工程がありますので、気候に合わせて作業をしていました。 晴れた日は傘を干したり、畑に出たり、雨の日には家で骨を作ったり。天気のよい日には田圃のあぜ道いっぱいに傘が干され、それはそれは気持ちのよい光景でした。農業の閑散期に作業するということではなく、年中なにかしらの作業をしていました。 私たちがの幼いころは、「骨そろえ」が子供の仕事でした。
学校から帰ると遊びに行く前に家の「骨そろえ」をやったり、近所の傘職人さんのお宅にお手伝いに行き、五銭のお駄賃をもらいにいっていました。
阿島傘の工程は分業され、ひとつの作業だけをやる家もあれば、いくつかの作業を一通りやる家もありました。農業をやりながらの家もあれば、専門で傘を作る家もあり、自分の暮らしに合わせて取り組み、阿島傘が暮らしの中に溶け込んでいました。 いまだに幼馴染と集まると「あのころ骨そろえやったなあ」と懐かしく話しています。

 
 
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昭和25年ころから30年にかけて、洋傘の登場でガラッと状況が変わりました。
あっというまに傘屋は激減。しかし、それは仕方がないことです。洋傘の方が勝手がいいですから。 ですが、和傘は「作って楽しむ」という残り方があるように思い、傘づくり体験に力を入れています。
傘をつくるのはとても楽しいですよ。子供たちが協力したり集中して取り組むという点でもよい課題になりますし、大人の趣味としても作り応えがあります。

 

特に阿島傘はシンプルで無骨で丈夫、修理をしながら一生使える実用品なのですが、昨今は和傘といえば「蛇の目傘」が観賞用などに人気ですので、阿島傘の会でも蛇の目傘を作ろうという取り組みもしています。
このように阿島傘の会は今も進化をしています。よい傘を作りたいという昔の阿島傘職人たちの思いと歴史はずっと繋がっているように思います。
残念ながら生活必需品ではなくなりましたが、技は後世に伝えたい。
そして、作った傘はぜひ使ってみて欲しいですね。歌川広重・鈴木春信などをはじめ、郷土の菱田春草も和傘の美を絵に表現しています。和傘は美しさの魅力、香りや、雨の打つ音など風情があります。
阿島傘に対するそれぞれの楽しみを見つけてもらえるよう、取り組んでいくことができればと考えています。
集中して作業する楽しさ、先人たちの工夫がつまった工程への驚き、乾燥を待つ時間のわくわく感、傘を干している光景の美しさなど、豊かな文化体験として子供たちをはじめみなさんの心にいつまでも受け継がれていくよう願いつつ、活動を続けていきたいと思います。

 
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 傘をイメージした八角形の屋根が特徴の阿島傘伝承館。館内には直径6mにもなる和傘をはじめ、人形を使った昔ながらの阿島傘の製作工程の紹介、阿島傘の歴史資料など多数展示されています。

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 阿島傘伝承館に隣接する阿島傘の資料館。阿島傘にまつわる資料が展示されており、実際に使われた道具や材料、色々な種類の和傘を見ることができます。また、傘作りの工程も展示されています。

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